2009年02月01日

デービッド・ジンマン指揮 シューベルト交響曲8番ハ長調

NHKはたまに、とんでもなくものすごいものを平気で放映する。
何か言いたくなる音楽というものがある。べつに何も言わなければ露のように消えてしまうようなものなので書き留める労さえ厭うようなものなのだ。

シューベルトの8番はその最たるもので、何だかノスタルジックでしかも見知らぬ街に迷い込んだ旅人のように聴衆を方々で驚かせる。曲構成も普通ではない。その音楽世界は印象派のマルケが描いた、川辺の街のように幸福感に満ちているのだ。

川面に反映するコバルトブルーの青空と楽しげな雲。古い町並みには子供たちが走り、郵便配達がのんびりと家々を廻っていくのが遠くに見える。そんな街だ。
スラブ色の強い旋律が時おり謎めいた広場への扉を開くが、ジンマンは冗長になりがちなシューベルト独特の繰り返しを演奏せず、曲全体の構築を引き締めているのだ。

posted by musicpc at 22:13| 京都 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | Music CD | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月15日

禁煙セラピー成功です!

禁煙期間6ヶ月経過
まさかあの黄色い本「禁煙セラピー」でマジに禁煙に成功するとは思っていなかった。
不思議です。
不思議大好き。

今年、タスポ導入の記念に禁煙しようと思い立ったわけで、もう半年が過ぎた。いまだ禁煙の意思は崩れずですよ。

ただ酒量が増えたなあ。
今年の夏はだからビールを毎日がぶ飲み状態だったよ。
半年も過ぎると愛用のタブレット「ミンティア・ドライハード」も飽きてきて、消費量が安定してきたりして。禁煙当初は四六時中おせわになりました。

それから、心配の通り腹が出てきた。ちょっと脂肪だね。
食い意地張りますよ普通、禁煙なんかすると。というわけでした。まあ、酒飲みの豚になってもよければ禁煙どうぞおーみたいな。



posted by musicpc at 18:53| 京都 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月02日

シーザーブログが改善していた

長い間このブログを放置していたが、今日はリンクの切れた画像の修正をやる気になっていると、どうも書き換えが早い。
以前は管理画面がもっとうんざりするほど遅かったはずだけど?
おっかしいなー、例の「再構築」ボタンも無いぞ?どこだ。

相変わらず、新たにリンクを変更し終えた記事表示が更新されない。しょうがないので「設定」項目にある「最新の情報に更新」を実行したら即変更が反映した。

「最新の情報に更新」ボタン、「マイブログ」のトップ項目に入れといてよ。

じゃあね。
ただ今禁煙セラピー中なんで。はい。

posted by musicpc at 16:40| 京都 ☔| Comment(1) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月22日

ギター古典音楽の極致 ジュリアン・ブリーム

julian bream.jpg日本ではまったくといっていいほど人気のなかったブリームの珠玉のアルバム「バロック・ギター名曲集」が「RCA RED SEAL」コレクションに入っているのを見付けて、買ってきた。
私はクラシックギターをけっこう長い間弾いていたが、この人についてはまったくの無知。楽器の勉強中当時はあまり特定の演奏家に影響されたくないということもあって、未読というか未聴であーる。まあ、この写真を見る限り、人気無しなのも納得?これが30代のブリームとのこと…。

音楽は顔じゃないよ、と普通に考えている私としても、正直このアルバムを手に取ってちょっと躊躇したね。どんな音をしているのかまったく想像もつかないジャケット写真だ。イメージ不可能。
ちょっとエネルギーに満ちた性格の人かな?ぐらいの情報しか見えない。どう見てもギター演奏家というよりも、指揮者だとか、デカい会社を作って運営するようなタイプの人物象だよねこれ。

さっそく音楽ダウンロードサイトで検索して、いったいどんな演奏なのか視聴しようとしたけど、出て来ないよこの人。で、結局TowerRecordに戻って購入でした。

大体私はスペイン風奏法が嫌いなのでイエペスなどは聴かない。あくまで北ヨーロッパ古典主義であーる。ギターが好きでスペインが嫌いというのも何だそれは?と自分でも思うが、ヨーロッパにはリュートの歴史があって、宮廷音楽の範疇にギターの前身はちゃんと入っている。バッハにはリュート組曲という至宝があって、それを書き残してくれたバッハの所持品の中にもリュートはちゃんとリストされている。

ギターはリュートの改良品で、その携帯性と構造的単純さをもって高貴なお歴々のお屋敷から脱出し、場末の酒場にまで入り込んでしまったというだけの話だ。それをさらにスパニッシュが文化の域まで広めてしまった。
元々ギターは高雅な人々に愛された楽器であって、酒場でバカ騒ぎする時の伴奏楽器ではない。で、このバロック・古典音楽のギター曲集だが、まさしくバロックである。
演奏の好みもピッタリ一致。実はギターのギターらしさな演奏というものは後々スパニッシュが自国の民謡や舞踏音楽の伴奏によって広めたもので、何もスペイン臭がギターらしさでは断じてないのだ。
そういうことが判断できる傑作の一枚である。聞き流せるというのも古典音楽の心地よい特徴でもあるが、それは氷山の下に隠れた本体のように大きな演奏技術が支持しているからに他ならない。

私もバッハリュート組曲の楽譜ぐらいは持っていて、好んで弾いていた時期もあったが、演奏技術も持っているわけではないので、いまだ全曲は未踏である。

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2007年12月20日

テンプレート変えたのでまたCSSの変更ログ

黒板(右サイドバー)

備 考
このテンプレートに変更した時にレイアウトがさっそく崩れた。
原因は Comment にある「スピーカーの写真」がサイドエリアの幅をオーバーしてしまったためだ。
「アロハ」ではサイドエリア幅が大きくて大丈夫だったが、このテンプレートでは収まらなかったのであーる。
すぐに写真のあるサイドブロックを非表示に設定して崩れを直し、その後写真を小さいものに差し替えて解決です。

CSS変更ログ
 右斜め下
Next page
タグ:CSS変更
posted by musicpc at 02:00| 京都 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月15日

初めにブログデザインCSSの変更を

まずブログを立ち上げる時、私は読みやすさを優先してCSSを変更します。
必ずします。絶対します。
性格的にも出来合いをそのまま使うようなことはせず、いじります(笑)

Seesaa ブログについての文句たらたらは⇒こちらに書いてます。

CSS変更項目のログ
 右斜め下
Next page
タグ:CSS編集
posted by musicpc at 22:17| 京都 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Diary | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月29日

ナイト・ウォッチ 2004年ロシア作品

night watch.jpgナイト・ウォッチ NOCHNOI DOZOR
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
監督・脚本: ティムール・ベクマンベトフ
出演: コンスタンチン・ハベンスキー, ウラジミール・メニショフ
原作: セルゲイ・ルキヤネンコ
2004年アカデミー賞外国語部門にノミネート/2005年ブリュッセル国際ファンタジー映画祭で銀鴉賞を受賞後、全米で公開
2006年日本公開

見つけましたよ、見つけましたよ! これですね、「映画という驚き」は。
さすがにエイゼンシュタイン、タルコフスキーという映像の怪物を生み出した国の作品だ。もんのすごいですねこれ。
私は「コンスタンチン」や、ブコウスキーの「つめたく冷えた月」やら、古くは「ブレードランナー」やらマーチン・スコセッジの作品やらを好んで観ていたわりには残念ながら知らなかったね、この映画監督の存在自体を。だいたい題名が平凡すぎるよこれじゃ。

芸術というものは一種衝撃であって、何もことさら芸術作品であることを標榜しなくても、それを示すだけで芸術であることをおのずと表出する作品なのであると気付く。つまりこの場合は「映像芸術」だ。
これはまさに見まごうことなき「芸術」であります。しかも第一級です。
いったいこの監督はこの映画を撮るまで何処でどんな作品を出していたのだろう? まったく困った人だ。

ティムール・ベクマンベトフ監督により映画化された本作『ナイト・ウォッチ』は、ロシアの作家セルゲイ・ルキヤネンコが書いた小説が原作だ。1999年にロシアのSF大賞である「遍歴者賞」を受賞。ロシアで300万部を売り上げ大ヒットしたとある。これも私は知るわけがない。
同じような題材を扱った映画「コンスタンチン」などはこれに比べればアメリカ的な作り物であって、もはやディズニーランドシーケンスと言ってもよかったことに今頃気付いたりする。まあ、興行収入第一だからねあちらは。
映画「マトリックス」についてはこの映画を観てしまうと、その第一作のみがこれに並べることが出来る。そんな映画である。
あとは思い出して並べられる歴史的作品リストが無い。というよりも思い浮かばない。そういうこと自体が現代芸術においてはすでに大変な事件なのである。

芸術の深き甘味と苦味を知らない人にはこの作品の正統な鑑賞は無理な話で。ネットには的外れで俗なレビューがあふれているのは残念だが、まあ一般受けではその程度だろね。そんなの気にしない、気にしない。

 
posted by musicpc at 21:11| 京都 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Movie DVD | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月12日

クラッシュ

kulashu.jpgクラッシュ
サンドラ・ブロック (2006/07/28)
東宝/2004年 アメリカ映画


監督・脚本: ポール・ハギス(『ミリオンダラー・ベイビー』の脚本家が初監督)
第78回(2005年)アカデミー賞作品賞、脚本賞、編集賞の3部門受賞

たしかに世の中甘くはない。
世の中といっても家族の中でさえそれほど甘くはない日常を人々は生きている。おまけに各国人種を目と鼻の先にして毎日過ごさなければならないアメリカとなると、ことに様々な問題が果てしなく広がるばかりだ。
とんでもない家族の、のっぴきならない十字架を背負って生きる人々をこの脚本家、ポール・ハギスは前作「ミリオンダラー・ベイビー」で描いたが、今回は彼自身の監督による映像となった。ならばやはり観なければならないだろうね。
さて手腕のほどは? というわけでけっこう期待されていたんじゃないかな。

だいたい「ドラマ」というものはどちらかというとステレオタイプな人物が登場するのが常だ。役者もあらかじめそういうお約束な演技の引き出しを持ち合わせて商売している。ところがこの脚本家の手になる人物像はまさにリアルな複雑さを醸し出す。
映画に登場するケチな車泥棒の黒人2人組みはまさにそうしたステレオタイプなのかもしれないが、兄貴分のでかい方のヤツはそうしたお定まりなイメージを辛らつなジョークで笑い飛ばすことで観客をとりあえずとまどわせる。つまりミスマッチなエスプリが映画のプロローグとなっているのだ。
穿ったことをいきなりまくしたてるこの人物は監督の代弁者といって良いのだろうか。そういう軽いジャブで事件は始まる。けっこういい感じだ。

人間というのは何も、唾棄すべき奴だからといって1日24時間四六時中唾棄すべきことを考えているわけではない。またお堅い職業の人物だからといって何も四六時中お堅いわけでもない。それはあのケチな車泥棒だってそうなのだ。そこにこのドラマの複雑な人間性の表現という妙が現われる。
その上、人はしばしば物事と人間の見えなさによって、間違えたりする。それこそ悲劇的な大間違いをしでかすのだ。

そんな大間違いをしでかす瞬間に、いったい誰が我々を守ってくれるのだろう?
映画「クラッシュ」はそんな人間の複雑さと愛おしさ、汚らしさと透明さ、怒りと安らぎを織り成すように映像化した。
答えがないわけではない。何処かにあるのではなく目の前にあるのだ、ということをこの映画は示し続けていたかったのだろう。

 
posted by musicpc at 21:07| 京都 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Movie DVD | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月15日

K−PAX(光の旅人):2001

K-PAX.jpgK-PAX 光の旅人
ケビン・スペイシー (2004/03/03)
監督:イアン・ソフトリー Iain Softley
脚本:チャールズ・リーヴィット Charles Leavitt
底本:ジーン・ブルーワー(科学者でもある)が 1995年に発表した同名の小説を映画化。
撮影:ジョン・マシーソン John Mathieson


去っていく者はいつも謎を残す。
映画 K−PAX[光の旅人]は2001 年9月 11 日の同時多発テロ直後の 10 月にアメリカで封切られ、No.1大ヒットとなった作品だ。

SF映画好きというのは、未来的デザインの質感リアルなマシンやぶっ飛んだ空間認識やら、それらしく快適で機能的なルームセットデザインやら、特殊メイクやらを楽しむというのが通常だろうが、この映画はそういったものはほとんど出てこない。
「惑星ソラリス」を撮った監督タルコフスキーでさえ宇宙船のルームデザインはそれらしく作ってあった(未来都市のワンカットは新宿高層ビルエリアのロケだったが)。しかしこの映画の舞台はまさしく生でリアルな「現在」なのだ。


さて、こうも後ろ盾がないSF映画を撮るとなると、役者の演技能力自体がそうとう要求されるはずなのだ。SFXやそれらしいコスチュームや奇妙なメイクでガードされていれば、役者は自分が外惑星人だということをことさら派手に演じなくてもよくなる。ある意味ラクに芝居が出来る。
しかしこの映画での主人公はまったく何もごまかせない生の人間を演じるのである。ただ出生が我々とはまったく違うということを除けば…。現実的に見ればむしろ悲惨な状態の精神疾患を持つ一人の男に過ぎない。
この映画は主演のケビン・スペイシー(自らK−PAX人だと主張する者)は当代一流の役者(アカデミー賞を獲得したオスカーの評判が高い)だそうだが、その深度ある演技力をもってこそ、この映画は実現したのだろうなと納得させる逸品だ。

底本[K−PAX]についてはあるレビュアーいわく「小説を読んでいるつもりが途中で実際にあったノンフィクションを読んでいるのじゃないかと錯覚しだすくらい、変な小説」なのだそうだ。

ストーリーの中で彼が発揮する「癒しの能力」は当時アメリカでさかんに出版されていたヒーリングの未知な能力を扱ったサブカルチャーに通じていると思う。むろんそれは外宇宙の知的存在を最も強く意識している文化である。そうしたものがうっすらと見え隠れする映画でもある。
そういえば癒しの達人「キリスト」もあんな風に突然去って行ったんだよねー…。

 
タグ:SF
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2006年05月06日

映画「ハーモニーベイの夜明け」と「アメリカンビューティー」

ハーモニーベイ.jpgハーモニーベイの夜明け
アンソニー・ホプキンス (2004/03/03)


人間50年も生きていくとある日を境に突如その人間性が大きく変貌することなど有り得ない事のように思ってしまう。映画「ハーモニーベイの夜明け」と「アメリカンビューティー」はそんな人間の可能性を描いた作品だ。

この二つの映画はどちらも一人の男がその社会性を捨て去ることによって周囲に巻き起こす強烈なドラマである。人間が社会性を失って、なおかつ人間であり得るのか? ということは興味深い問題だが、ここではむしろ人間の元あるべき自由さと原点の普遍性を取り戻す契機になっている。

映画として脚本を練り上げ、何十人ものスタッフによって何とか見える形に作り上げるという労苦の多い作業を嬉々としてやり遂げるほど情熱を傾けるということは、つまり残念ながらこのような人間が現実には困難なことを示している。でなければ誰もそのような映画を作ろうと思いもしなければ、見ようかとも思わないだろう。かように現代社会は「裸の人間」を許さないステージなのだ。
確かにこうした考えはお目出たい性善説に基づいた理想かもしれない。しかし我々が空気のように当然の存在と考えている社会こそ、万人向きの既製服で安全を根拠に人間を縛り上げている幻想にすぎないのかもしれないのだ。

 
タグ:人生
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