2006年02月26日

ゴダールの決別(1993)

ゴダールの決別.jpgゴダールの決別 デジタルリマスター版
ジェラール・ドパルデュー (2005/08/26)


ご存知ゴダールのご託宣映画である。
破壊された映画シリーズもこれで終わりだ。ゴダールはこの映画で「時間」を破壊してしまった。時間を支配できるのは神のみである。
今のところ人類は土の管理ぐらいしか任されていない。だから土をこね回して美しくも愛らしい美術品を生み出す日本人は神の下の本分を守っているわけだ。映画というメディアをひねくり回す歴史もこれで終焉を迎えた。

観るのに三日かかっている。まだ観終っていないのだが、もういいぞゴダール。確かに映画監督はフィルムの中で時間をいかようにも調理できる。しかし時間が無ければむろんストーリーにも決別を告げなければならない。つまり「リエン」である。

裸体に薄物を着て二階の窓辺に立つ女性のワンカット。こちらを向いていてとても美しい。と思った瞬間にべもなく役者は動き、そっけもなく次のシーンへ向かうゴダールフィルム。風も無い。
まあつまりそういうことだ。
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2006年02月25日

バーフライ(1987)

BARFLY.jpgバーフライ
ミッキー・ローク (2002/10/04)


つめたく冷えた月(1991)魅せられたる三夜(1987)を書いた作家Charles Bukowski(チャールズ・ブコウスキー)初の脚本作品。
本作は作家に心酔する映画制作エージェントのたっての願いによって書き下ろしたものだ。エージェントの最初の電話には「脚本を書けだと?冗談じゃねえ、糞食らえ!」と返答したらしい。当時本人は映画というものが大嫌いだったのだ。
「ヴァンダの部屋」では破壊された映画の極北を見たが、今度は破壊された人生の可能性を描いた作品だ。日本にも戦後「無頼派」という酒びたりの作家達が居たが、だいたい作家というものは自分の棺桶の中で書き綴る覚悟がなければろくな作品を生めない。

さすがにハリウッド映画の商業的ボーダーラインが効いていて(でなければこのような作家の映画など出来なかっただろう)ラブストーリー仕立てになってはいるが、お気に入りの女性を愛でる炎も消えかかればどだい作家でさえありない、ということもあるかも知れない。

台本に無い小芝居の宝庫「ミッキーローク」は汚らしい飲んだくれの作家を水を得た魚のように演じていて、作家の持つユーモアをことごとく拾い集めて見せた。巻末の作家インタビューでは「驚いた。彼の演技はマジックだ!」と脱帽している。

 
タグ:作家映画
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2006年02月23日

ヴァンダの部屋

ヴァンダの部屋.jpgヴァンダの部屋
ヴァンダ・ドゥアルテ (2004/11/05)
ジェネオン エンタテインメント



「誰も知らない」を観た後、何だかまともにセリフが決められた綺麗に作られた映画を見る気がしなくて、ドキュメンタリーを見ようと思った。
映画「ヴァンダの部屋」は取り壊しが始まった貧民街の一角での話だ。むろんセリフも役者も出てこない。一日中薄暗い部屋でただただ薬を吸引し続けるヴァンダと周りの行き場の無い人々をじっと撮ってゆく。
近くではすでにコンクリートの瓦礫がころがり、かつて子供たちお気に入りの細い路地も無くなってゆく。むろん電気もガスも水道もないので部屋は昼間でも薄暗い。

こうした映画はNHKでも撮っているが、視点が違う。昔「アルジェの戦い」というドキュメンタリータッチの映画がもてはやされたのを思い出した。今見ればドキュメンタリーを標榜する演出がひどくあざといと感じるだろう。「ヴァンダの部屋」に演出は無いとは思えないが(たとえば子供をフレーム内に呼び込むこと、これはすでに演出か)印象はガレージバンドである。ニューウエーブと言ってもいいかもしれないが監督も若い。

観るのに二日かかってしまった。延々たる長回しカメラは時間が映画の中で流れ出す。この映画で時を刻むのは心臓の鼓動なのである。
視点が違うと書いたが、こうなるとむしろ神の視点が現われ出でて来る。このことに観客が気付く時、映画は映画を超えてしまうのだ。

 
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2006年02月19日

「誰も知らない」メイキング

A Making of Nobody Knows.jpg「誰も知らない」ができるまで
柳楽優弥 (2004/12/23)
バンダイビジュアル



なにげに映画「誰も知らない」を借りてきて観終わってさっそく文章を書いたわけだけれど、この映画どうしてもメイキングに疑問が出てきた。

いったいどうやって撮ったのだろう?? ということである。

役者といってもタレントはYOU一人で、後は主役以下すべての兄弟が公募で集めた素人である。しかも子供たち。やはり実際にアパートに閉じこめられた生活をさせてみないとあのような雰囲気は出てこないのではないか?そうしてカメラの回しっぱなしで撮ったのだろうか?
セリフ回しはどう見てもアドリブにしか見えないところも多い。台本などあったのだろうか???
あの死んでゆく末っ子5歳の女の子は芝居、つまりストーリーを自覚しているのだろうか??映画として鑑賞した後、ふと思うとあまりにもうますぎるではないか。謎だらけである。

というわけで、さっそく借りてきました。このDVDの隣に置かれていた「誰も知らない=メイキング」。
観終わって謎がある程度は解けた。実はこの作品、カンヌ映画祭に出品され盛大な拍手を贈られたということをこのDVDで知った。あの少年がタキシードに蝶ネクタイ姿で、映画の中の兄弟たちと共に国籍さまざまな人々を前に拍手で迎えられる。というのがメイキングのファーストシーン。
メイキングによるとやはり台本は書面で渡すことをクランクイン始めの段階から止めにして、監督自ら彼らの置かれた状況とシーンの説明をじっくりと、慌てず急がず根気良く積み重ねた結果であったのだ。撮影は一年に及んだ。

さらにあの謎の幼女であるが、結局のところ天与の才能であった。監督の説明を理解してあの小さな体でせいいっぱい演じて見せてくれたのだ。
それにしてもあの長女役の物静かでアジア女性の良いところがすべて絵になっている様はどうだろう。よくあれだけの子供たちが集まったものだ。

映画では決して涙を見せなかったあの主役の少年だが、メイキングのクランクアップの時はちょうど声変わりも済ませて万事に非常に敏感な年頃。満感迫る思いがあったのだろう。スタッフから花束を贈られると感情が雪崩のように出尽くして、止めど無く泣いていたのが印象に残る。
監督もすごいが子供たちも何だかすごい映画なのである。

 
 
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2006年02月16日

誰も知らない

誰も知らない.jpg誰も知らない
柳楽優弥 (2005/03/11)
バンダイビジュアル


「誰も知らない」と題された邦画のDVDを借りてきた。
とても印象的なジャケットショットの一枚である。女の子だと思っていたら実は少年。どうしてこの子はこんなに乾いた訴えるような目をしているのか?彼の髪型はなぜこんなに伸び放題なのか?何の説明も読まずに観ることにした。

さて・・・・・・・・・。ファーストシーンが列車内の手持ちカメラ?
YOUのあまりにリアルな演技にまいってシーンは引越後の二三日目で中止。夫に逃げられた弱い母親を演じているのだが、こうした女性への批判はいくら出来ても現実問題となると相当難しい。子供たちをアパートに閉じ込めた上に夜遅い帰宅というシーン、精神疾患さえ感じるわざとらしい甘ったるいしゃべりの演技があまりにリアルすぎて見ていられなくなった。

後日改めて観終えた。・・・・・・・・・。
ショッキングである。戦争を経験していなくとも、2006年の現在でも、あるいはこれからの輝かしい未来であっても、このような悲惨は起こり得るのである。「ほたるの墓」を思い出した。1000万人に一人、1億人に一人、桁違いの可能性ということはあるかもしれない。いやしかしやはり子供たちにはこのような悲惨をいつでも経験する可能性はいまだにあるのだ。

受け入れがたい現実を受け入れようとする、あの乾いた視線の少年。12歳の少年がこの5人兄弟の頭となって日常をこなす。一番末っ子の5歳の女児のかわいいワンショットが強烈だ。大人の視線から見下ろすワンショット。何とも知れない無垢な目で大人をじっと見上げる表情。このように見上げられたらもう何も言えなくなるだろう。

少年はある日この子を外に連れて行く。大好きなアポロチョコレートの空箱を大事そうに両手で持つシーン。駅の構内は忙しく人々が行き交う。高価なコートを着込んだOLが、疲れた初老のサラリーマンが、働くおばさんが、ヘッドフォンを離さない中学生が過ぎ去る。まさかこの二人がどのように悲惨な日常を送っているのか、むろん「誰も知らない」。

観客は福祉施設やアパートの良さそうな住人や、あるいは交番を思い浮かべるだろう。しかし問題は心情的に考えてもっと深刻だ。この5人の兄弟が離れ離れになることなく、そのまま受け入れられるような場所はこの社会のどこにも存在しないのである。
幼い兄弟が一緒に暮らすという権利はその父母によってのみ薄氷を踏む思いをもって守られているのである。

これは実際に起きた事件を元に製作された映画だそうである。

 
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