2006年04月27日

ミリオンダラー・ベイビー(2005年)

ミリオンダラー・ベイビー.jpgミリオンダラー・ベイビー
クリント・イーストウッド (2005/10/28)


どちらかというと「ローハイド」の頃から私のお気に入りな役者、クリント・イーストウッドの年老いた姿を見たくはなかった(お顔ボロボロですぞしかし、メイク?)が、アカデミー賞主要4部門でオスカーともなると、観ない訳にはいかんだろうね。

別にラストで涙は出なかったが秀逸な作品です。イーストウッド25本目の監督作ということだけど遺作にならなければいいが。イーストウッドはこの作品の元となった本、F・X・トゥールの短編集「Rope Burns」が気にかかっていて、いつか映画化したいと考えていたそうだ。脚本をポール・ハギスというエミー賞受賞脚本家が書き上げたので映画化に踏み切った。

それにしても老境にある二人、イーストウッドとモーガン・フリーマンのとぼけたやりとりは傑作ですねこれ。過去に大きな傷を持つ年老いたボクシングジム経営者兼トレーナーと、心の傷と共にパートナーとして付かず離れずの老ジムアシスタント(モーガン・フリーマン)のヒューマンな関係は物語準主役の破壊された人生を歩んできた田舎娘(トレーナーを信頼してジムに来る女性ボクサー志望)との関係ともあいまってどちらが濃厚なのか判らないほどに並行して物語が進行する。

ラストで涙は出なかったと書いたが、これは「尊厳死」という現代医療の究極の選択について現実的でのっぴきならない問題が含まれているからである。私はむしろ目を見開いてこの物語がどうするのかを見た。ちなみにこの物語には頻繁に神父が登場する。老トレーナーが日常的に近くの教会を訪れるからである。しかし彼らも他人の押し潰されそうに巨大な十字架の前では無力を隠すもっともらしいことを口にするのみだ。そこには少なくとも悪意はないということがただ一つの救いか。

そしてまた、ボクサーとなる彼女の家族の底知れない問題。つまり親兄弟といえどもどうしようもなく破壊されつくした赤貧にあって、人間はもはや人間ではなくなるほどに悪魔的に捻じ曲がり得るということだ。これは卑近な問題であって、実際に誰もがこうした「平気で嘘をつく人たち」にある人物資料そのままに被害をこうむる可能性が大きい。それは人生どころか全人格におよぶ凶行といっても過言ではない。そんな人間が母でござい、親でござい、兄弟でござい、と言っては人の魂と人生を破壊し続けるのである。家族であるだけにむしろその破壊力は途方もないものに違いない。

 
ラベル:家族の問題
posted by musicpc at 20:22| 京都 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | Movie DVD | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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