2006年05月01日

最後の誘惑(1988年 米)

最後の誘惑.jpg最後の誘惑
ウィレム・デフォー (2006/04/19)
ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン


製作年を見てちょっと意外なほど古い映画なのだけど、内容はいささかも古びていなかった。
スコセッジ監督といえば「タクシードライバー」のニューヨークと孤独で少々危険な青年トラビス(若き日のロバート・デニーロ)が忘れることが出来ない。その後色んなものを撮ったが結局スコセッジという監督は映画というものはただ見て楽しんで終わりというものではないと信じているようで、どう見てもそれらには一流の芸術作品としての風格がある。
キリスト教国でのこの映画の封切上映当時には混乱があって、様々な方面からの上映中止の圧力をかいくぐったらしい。その後もしばらくレンタルビデオの大手では何気なく在庫がないということにしていたそうだ。

スコセッジ監督の映画を見ていつも思うのはその緻密な構造の只中に必ず訳の判らない映像とセリフが差し挟まれてあることだ。それは謎のように印象に残ってしまう。
しかし映画の中で語られるイエスのセリフは少しも歪曲されてなどいない。まさしく新約聖書に伝わるイエスが語ったとされる言葉なのである。スコセッジ監督はその一字一句もおろそかにしていない。だから今見るとむしろ監督の信仰告白のような様相を見せている。それは何もキリストを高みから引きずりおろすことではなく、歴史の謎解きでもない。まさにマーチン・スコセッジの出会ったキリストなのである。つまりこれはほかでもなく自らの才能と全霊をもってのまさに「信仰告白」なのだ。

スコセッジの想像力は、キリストイエスは40日40夜荒野に引かれて行ったと聖書に記されているだけの内容に及んでいるが、我々もいったいどのような修行の様子だったのだろうか、と想像するのみである。それを映画監督という人種は映像化する。新約聖書は簡素に記述するのみであるが、これを映像にしないで置くなどということは映画監督にあっては出来ない相談だ。

いずれにしてもキリストについて我々が語るとき、悪口にしろ賛美にしろ無視にしろ、そこにキリストはまるで試金石のように働きかける。語る者の心の深度ともいうようなものが暴露されてしまうのである。その人が人生において何を最も重要と考えているか、何を一番恐れているか、何を最も欲しているか、今までどのようなことを学んだのか、すべてがさらけ出されてしまう。だから利口な者はキリストについては語らないでおくということはあり得る。それも一つの処世術であるに違いない。


 
タグ:キリスト
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2006年04月30日

つめたく冷えた月(1991年)

つめたく冷えた月.jpgつめたく冷えた月
パトリック・ブシテー (2004/06/25)
パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン


一度ローカルの深夜映画でこれを見たことがある。その時は後半からしか見れず、それでも東京でバカやっていた頃を思い出した。
一緒にバカな日常を過ごしたその友達はたぶんこの映画を「すごいよー」「ブコウスキー?知ってるよ、ヤツはね…」なんて言いながら褒めるだろうね。何せ彼は身辺無一物のくせに「バタイユ全集」は持っていたような奴だからなあ。もうずっと消息不明だ。

あのモノクロームも美しい映画がブコウスキーの短編を下敷きにしたものだということをDVDで初めて知った。前日記でバーフライ(1987ブコウスキーの脚本)について書いているのでどうやら私はブコウスキーがお気に入りのようだ。読んでみようと思っている。

 
タグ:奇妙な映画
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2006年04月27日

ミリオンダラー・ベイビー(2005年)

ミリオンダラー・ベイビー.jpgミリオンダラー・ベイビー
クリント・イーストウッド (2005/10/28)


どちらかというと「ローハイド」の頃から私のお気に入りな役者、クリント・イーストウッドの年老いた姿を見たくはなかった(お顔ボロボロですぞしかし、メイク?)が、アカデミー賞主要4部門でオスカーともなると、観ない訳にはいかんだろうね。

別にラストで涙は出なかったが秀逸な作品です。イーストウッド25本目の監督作ということだけど遺作にならなければいいが。イーストウッドはこの作品の元となった本、F・X・トゥールの短編集「Rope Burns」が気にかかっていて、いつか映画化したいと考えていたそうだ。脚本をポール・ハギスというエミー賞受賞脚本家が書き上げたので映画化に踏み切った。

それにしても老境にある二人、イーストウッドとモーガン・フリーマンのとぼけたやりとりは傑作ですねこれ。過去に大きな傷を持つ年老いたボクシングジム経営者兼トレーナーと、心の傷と共にパートナーとして付かず離れずの老ジムアシスタント(モーガン・フリーマン)のヒューマンな関係は物語準主役の破壊された人生を歩んできた田舎娘(トレーナーを信頼してジムに来る女性ボクサー志望)との関係ともあいまってどちらが濃厚なのか判らないほどに並行して物語が進行する。

ラストで涙は出なかったと書いたが、これは「尊厳死」という現代医療の究極の選択について現実的でのっぴきならない問題が含まれているからである。私はむしろ目を見開いてこの物語がどうするのかを見た。ちなみにこの物語には頻繁に神父が登場する。老トレーナーが日常的に近くの教会を訪れるからである。しかし彼らも他人の押し潰されそうに巨大な十字架の前では無力を隠すもっともらしいことを口にするのみだ。そこには少なくとも悪意はないということがただ一つの救いか。

そしてまた、ボクサーとなる彼女の家族の底知れない問題。つまり親兄弟といえどもどうしようもなく破壊されつくした赤貧にあって、人間はもはや人間ではなくなるほどに悪魔的に捻じ曲がり得るということだ。これは卑近な問題であって、実際に誰もがこうした「平気で嘘をつく人たち」にある人物資料そのままに被害をこうむる可能性が大きい。それは人生どころか全人格におよぶ凶行といっても過言ではない。そんな人間が母でござい、親でござい、兄弟でござい、と言っては人の魂と人生を破壊し続けるのである。家族であるだけにむしろその破壊力は途方もないものに違いない。

 
タグ:家族の問題
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2006年04月20日

Archie Bronson Outfit

Archie Bronson Outfit.jpgただのガレージバンドではないですね。
よく聴いてみると音楽的にかなり練られているのが判ると思う。つまり彼らの音楽は「激しい」とか「ヴァイオレンス」だとかで片付けるほど無神経で荒削りではないということだ。
私は10年余りロック・ポップスなんぞ、あまりのワンパターンと出来合いのつまらなさに聴くことがなかったが、つい最近TOWER RECORDSの試聴でArchie Bronson Outfitを知った。
だいたい聴くこともない人がいったいどうしてCD屋になど入ったのかというと、前記事にも書いたように、ひとえにIGGY POP様のおかげであ〜る。
またロンドン出身だということも私の音楽的趣味に合致してしまった。

この曲集を聴いていると確かに彼らにはギターの超絶技巧や演奏技術はさほどないかもしれない。しかしそれがどうした。オリジナルでエモーショナルな音楽作りにおいてそれらが必ずしも必要ではないことが判る。要するに表現が充足していればそれで足るのである。
音楽の音楽である時の当然あるべき楽曲構築ということにおいて彼らはかなり知性的だと感じる。
DOMINOのオーナーの耳は確かだった。よくぞ見出してくれましたと感謝ですね。

 
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2006年04月06日

Louie Louie

コーヒー&シガレッツ.jpgコーヒー&シガレッツ
ロベルト・ベニーニ (2005/09/09)


LOUIE LOUIE ルイルイ というのはパンクロックやガレージバンドの大御所IGGY POP(イギー・ポップ)がいまだ健在として93年に出したアルバム AMERICAN CAESAR「アメリカン・シーザー」に入っている1曲である。

実は私、このロッカーをまったく知らなかった。ディスコグラフィーの年代を見るとかなり古くからのパンク一筋アーチストであって、まだジョンレノンが活動していた頃までさかのぼる。いやー知らなかったなあ…こんな物凄いヤツが居たとは。いやピストルズは知ってたよ。

こんなパンクバンドをどうして知ったかというと、過去日記にもあるように最近TSUTAYAでDVDを借りて映画見まくりまくっていたところ、ある日ジムジャームッシュ監督の映画『coffee and cigarette』を観た。と思いねぇ。それのエンドロールに流れるガレージバンドらしき奴らのサウンドがどうも良いのである。ギターもいいしドラムもこれの他に考えられない。ボーカルなどこちらがどうこう言えるほどのレベルではない良さだ。だいいち悪いところ(私が気に入らない箇所)が全然ないサウンドではないか。これは大変だあーーー!。
これこそ知る人ぞ知る「パンクのゴッドファーザー」と呼ばれて久しいIGGY POPの歌うLouie Louieという曲だったのであ〜る。

というわけで、このDVD映画を返すその日に話を戻す。ロックバンドのことは何も知らない私はふとTSUTAYAの店員にエンドロールに流れる曲のことを言ってみた。若い奴らなら誰でも知っている有名なバンドなのかも知れないし、バンド名ぐらいはすぐに判るだろうと思ったのである。ガレージバンド流行ってるし。
ところがこの私の一言のせいでえらいことになってしまった。DVD側には何の情報もなかったのであ〜る。紹介記事もあちこち調べたがわからない。本編のエンドロールを見ようということになった。
店内カウンターにある機器でエンドロールを出すが、そばの誰が聞いても判らない。さあ誰?で何という曲でしょう?ということになった。さらにもう一人の店員さんがネットを使って情報を検索し始めてくれた。
どうやらIGGY POPというバンドらしいということまで判明。エンドロールの細かい文字を見ていた店員がどうやら「ルイルイ」という曲らしいが映画は他にたくさんの様々な音楽をバックグラウンドに使っているので定かではない。と結論した。もう一人の店員さんはあきらめなかった(すみません店員さん、ありがとね)。彼女はさらに店内のIGGYのアルバムを全部出してきてそのLOUIE LOUIE なる曲がIGGYのどのアルバムにあるか調べ始めた。しかし見付からない。店内には「アメリカン・シーザー」が無かったのである。かなりてこずらせてしまった。

私は私で店内の音楽DVDにIGGYのライブを発見。それを持ってきて見ると、ありました。LOUIE LOUIE。しかし店員はそれをわざわざ見せてくれてこの曲かどうかと訊くが、ライブでは演奏形態もアドリブもありのはずなので、判然としない。結局私は「これはほぼ間違いなくイギーポップのルイルイという曲だと思う。またこちらで調べてみるよ。ありがとう。」と言ってとりあえず大変なことになってしまった曲探しを終了していただくことにした。店内混んで来たしね。

実はこれがきっかけでほぼ10年ぶりに私はCD屋の店内に入り、さらに興味を失って久しかった「音楽」を聴き始めたのであ〜る。


 
posted by musicpc at 21:37| 京都 ☀| Comment(0) | TrackBack(1) | Movie DVD | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月03日

ニュースの天才 (2003)

ニュースの天才.jpgニュースの天才
ヘイデン・クリステンセン (2006/10/27)


日本ではホリエモン関連を謳った偽メール事件で発信源はどうやら進退窮まっていたようだが、この映画は権威ある米国ニュース雑誌にデタラメの面白おかしい記事を「ニュース」として載せてクビになる男の話だ。

元は実話で実際にこのような事件を起こした一流雑誌については報道の真偽についても、記者の人間性においても大変な物議をかもしだした。
事件の発信源である現実の記者はその後セラピーを受けたりするが、むろん報道関係から姿を消して5年が経過する。フィクションをニュース雑誌に堂々と事実として載せてしまうという、その病的でさえある売名行為は映画では脚本と演出によってくっきりと浮き彫りにされている。
とりあえず雑誌は編集部全員の署名入りお詫びのページを載せて報道とノンフィクション関係者を震撼させた大事件の幕を閉じようとする。が、一度大きく傷ついた信頼を取り戻すにはどうすべきか。そこまでは映画としては進行しない。

記事をニュースとして掲載するまでは実に何重ものチェックが入る。実名の確認を始め固有名詞、場所などのウラ取り、インタビュー時のメモにはそれぞれの人物の座り位置まで記録する。
しかし何とこの夢遊病記者はフィクションの中での場所、インタビュー相手の電話番号、架空の会社のホームページまでを捏造するのである。しかも逃げも隠れも出来ない本人の記者名入りで堂々と載せてしまう。まさか、である。その「まさか…ねぇ」が実際に起きてしまった。

「平気で嘘をつく人たち―虚偽と邪悪の心理学」という本が話題になったりしているが、続編?の、良心に欠けた人々の災いに巻き込まれないためにどうするか、といった内容の本も売れているらしい。本作はそんな人物がどのように何の矛盾もなく自ら大嘘をつき続けるか、その心理と現場のまれに見る一つに案内してくれる。

 
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2006年02月26日

ゴダールの決別(1993)

ゴダールの決別.jpgゴダールの決別 デジタルリマスター版
ジェラール・ドパルデュー (2005/08/26)


ご存知ゴダールのご託宣映画である。
破壊された映画シリーズもこれで終わりだ。ゴダールはこの映画で「時間」を破壊してしまった。時間を支配できるのは神のみである。
今のところ人類は土の管理ぐらいしか任されていない。だから土をこね回して美しくも愛らしい美術品を生み出す日本人は神の下の本分を守っているわけだ。映画というメディアをひねくり回す歴史もこれで終焉を迎えた。

観るのに三日かかっている。まだ観終っていないのだが、もういいぞゴダール。確かに映画監督はフィルムの中で時間をいかようにも調理できる。しかし時間が無ければむろんストーリーにも決別を告げなければならない。つまり「リエン」である。

裸体に薄物を着て二階の窓辺に立つ女性のワンカット。こちらを向いていてとても美しい。と思った瞬間にべもなく役者は動き、そっけもなく次のシーンへ向かうゴダールフィルム。風も無い。
まあつまりそういうことだ。
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2006年02月25日

バーフライ(1987)

BARFLY.jpgバーフライ
ミッキー・ローク (2002/10/04)


つめたく冷えた月(1991)魅せられたる三夜(1987)を書いた作家Charles Bukowski(チャールズ・ブコウスキー)初の脚本作品。
本作は作家に心酔する映画制作エージェントのたっての願いによって書き下ろしたものだ。エージェントの最初の電話には「脚本を書けだと?冗談じゃねえ、糞食らえ!」と返答したらしい。当時本人は映画というものが大嫌いだったのだ。
「ヴァンダの部屋」では破壊された映画の極北を見たが、今度は破壊された人生の可能性を描いた作品だ。日本にも戦後「無頼派」という酒びたりの作家達が居たが、だいたい作家というものは自分の棺桶の中で書き綴る覚悟がなければろくな作品を生めない。

さすがにハリウッド映画の商業的ボーダーラインが効いていて(でなければこのような作家の映画など出来なかっただろう)ラブストーリー仕立てになってはいるが、お気に入りの女性を愛でる炎も消えかかればどだい作家でさえありない、ということもあるかも知れない。

台本に無い小芝居の宝庫「ミッキーローク」は汚らしい飲んだくれの作家を水を得た魚のように演じていて、作家の持つユーモアをことごとく拾い集めて見せた。巻末の作家インタビューでは「驚いた。彼の演技はマジックだ!」と脱帽している。

 
タグ:作家映画
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2006年02月23日

ヴァンダの部屋

ヴァンダの部屋.jpgヴァンダの部屋
ヴァンダ・ドゥアルテ (2004/11/05)
ジェネオン エンタテインメント



「誰も知らない」を観た後、何だかまともにセリフが決められた綺麗に作られた映画を見る気がしなくて、ドキュメンタリーを見ようと思った。
映画「ヴァンダの部屋」は取り壊しが始まった貧民街の一角での話だ。むろんセリフも役者も出てこない。一日中薄暗い部屋でただただ薬を吸引し続けるヴァンダと周りの行き場の無い人々をじっと撮ってゆく。
近くではすでにコンクリートの瓦礫がころがり、かつて子供たちお気に入りの細い路地も無くなってゆく。むろん電気もガスも水道もないので部屋は昼間でも薄暗い。

こうした映画はNHKでも撮っているが、視点が違う。昔「アルジェの戦い」というドキュメンタリータッチの映画がもてはやされたのを思い出した。今見ればドキュメンタリーを標榜する演出がひどくあざといと感じるだろう。「ヴァンダの部屋」に演出は無いとは思えないが(たとえば子供をフレーム内に呼び込むこと、これはすでに演出か)印象はガレージバンドである。ニューウエーブと言ってもいいかもしれないが監督も若い。

観るのに二日かかってしまった。延々たる長回しカメラは時間が映画の中で流れ出す。この映画で時を刻むのは心臓の鼓動なのである。
視点が違うと書いたが、こうなるとむしろ神の視点が現われ出でて来る。このことに観客が気付く時、映画は映画を超えてしまうのだ。

 
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2006年02月19日

「誰も知らない」メイキング

A Making of Nobody Knows.jpg「誰も知らない」ができるまで
柳楽優弥 (2004/12/23)
バンダイビジュアル



なにげに映画「誰も知らない」を借りてきて観終わってさっそく文章を書いたわけだけれど、この映画どうしてもメイキングに疑問が出てきた。

いったいどうやって撮ったのだろう?? ということである。

役者といってもタレントはYOU一人で、後は主役以下すべての兄弟が公募で集めた素人である。しかも子供たち。やはり実際にアパートに閉じこめられた生活をさせてみないとあのような雰囲気は出てこないのではないか?そうしてカメラの回しっぱなしで撮ったのだろうか?
セリフ回しはどう見てもアドリブにしか見えないところも多い。台本などあったのだろうか???
あの死んでゆく末っ子5歳の女の子は芝居、つまりストーリーを自覚しているのだろうか??映画として鑑賞した後、ふと思うとあまりにもうますぎるではないか。謎だらけである。

というわけで、さっそく借りてきました。このDVDの隣に置かれていた「誰も知らない=メイキング」。
観終わって謎がある程度は解けた。実はこの作品、カンヌ映画祭に出品され盛大な拍手を贈られたということをこのDVDで知った。あの少年がタキシードに蝶ネクタイ姿で、映画の中の兄弟たちと共に国籍さまざまな人々を前に拍手で迎えられる。というのがメイキングのファーストシーン。
メイキングによるとやはり台本は書面で渡すことをクランクイン始めの段階から止めにして、監督自ら彼らの置かれた状況とシーンの説明をじっくりと、慌てず急がず根気良く積み重ねた結果であったのだ。撮影は一年に及んだ。

さらにあの謎の幼女であるが、結局のところ天与の才能であった。監督の説明を理解してあの小さな体でせいいっぱい演じて見せてくれたのだ。
それにしてもあの長女役の物静かでアジア女性の良いところがすべて絵になっている様はどうだろう。よくあれだけの子供たちが集まったものだ。

映画では決して涙を見せなかったあの主役の少年だが、メイキングのクランクアップの時はちょうど声変わりも済ませて万事に非常に敏感な年頃。満感迫る思いがあったのだろう。スタッフから花束を贈られると感情が雪崩のように出尽くして、止めど無く泣いていたのが印象に残る。
監督もすごいが子供たちも何だかすごい映画なのである。

 
 
posted by musicpc at 01:21| 京都 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | Movie DVD | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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